2012年09月13日

南三陸&気仙沼スタディツアー続編

9月12日のスタディツアー続編です。

さんさん商店街のあと、漁港やがれき集積場の周辺を車窓から見学し
吉野沢の仮設住宅へ向かいました。
まず、最初に通常は見ることのできない仮設住宅の中を見学させていただき、2部屋しかなくてここに4人で住んでいるということを説明すると、
皆さん「Unbelievable!(信じられない!)」と、驚かれていました。
この現状をハワイの多くの方に知っていただきたく、写真に収めていただきました。

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次にお待ちかねのお買い物タイムです。内職で作っているカフェエプロンや巾着、
アクリルエコたわし、どれもかわいくておしゃれで日本のお土産としてもぴったりでお手頃価格で売られているので皆さんたくさんお買い物してくれました♪

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すぐに開封して身につけるくらい気に入った方も。よくお似合いですよね。

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内職づくり「しゃねっちゃ工房」の工場長と宴会部長のめぐみさん
※しゃねっちゃとは方言で「(津波が来たけど)しょうがないよね。(がんばろう)」という意味です。

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大人気で芸能人のようにたくさん写真を撮られていました!

ハワイの方々からたくさんのお土産も!本当に皆さん心の優しい方々です。

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全員で記念撮影。福幸サロンは「復興」とかけています。良い言葉ですよね。

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工場長とめぐみさんにお別れをし、気仙沼まで北上しました。
気仙沼からの帰り道、大谷海岸の道の駅にて。

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大谷海岸は震災前JR気仙沼線が走っていて、日本一海に近い駅ということで有名でしたが、
津波の被害を受け、現在再開の目処が立っていません。
津波の被害を受けたホームと線路を間近で見ることができるので、臨場感があります。
この日は快晴で海の青色も一際澄んで見えました。

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大谷海岸を後にし、再び南三陸町に戻り平成の森にて夕食となりました。
皆さん、お箸の使い方も上手で魚も「おいしい!」と、召し上がられていました。

長い1日となり、お疲れではないかと、少々心配でしたが、
皆さん最後まで私の話を聞いて下さり、お別れの際にはハグをしてくれてとても嬉しかったです。
改めまして、今回来てくださった皆様&H.I.S.様 誠にありがとうございました!
また、いつかどこかでお会いできることを願って…*

担当:木村早百合
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posted by 宮城復興支援センター at 14:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済活性化支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南三陸&気仙沼スタディツアー

9月12日
H.I.S.様の企画でハワイから6名のお客様が被災地の勉強及びお買い物支援に来てくださいました。
遠くハワイから宮城県にお越しいただき、誠にありがとうございます!

<出発直後の様子>

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5時間の時差にも関わらず、朝から皆さん元気で私の自己紹介にも笑ってくれ、
とても友好的でした!

車内で自分の体験談も含め、震災当時の話や宮城復興支援センターがこれまでやってきたことなどをお話しさせていただいたところ、皆さん熱心に私の話を聞いて下さりました。
通訳ガイドさんが私の話を英訳してくださったのですが、日本語が分かる方もいたので日本語で話している際にもうなずきやアイコンタクトがあり、個人的にもとても嬉しかったです。

最初の目的地、大川小学校では献花をしてくださり、全員で黙祷をいたしました。
私が大川小学校での被害の内容をお話しし、かつての校舎の写真をお見せすると、
皆さん涙ぐんでいらっしゃいました。
それだけではなく、なぜ多くの命が犠牲となってしまったのか?
実際に避難しようとしていた三角地帯と呼ばれる高台を見てもらうことで、
今後津波に遭遇した際、より高いところに避難しなければならないということを学んでいただけたと思います。

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次の目的地は南三陸町です。
まず、はじめに防災対策庁舎へ行きました。
ここは現在、建物がどんどん壊され、復興計画が進んでいる南三陸町において、
津波の恐さを見るだけで体感できる貴重な場所です。
ここでも献花、黙祷をしてくださいました。そして、以前の建物の写真をお見せしながらお話しをすると、皆さん「Amaizing!(信じられない)」と、何度もおっしゃっていました。
質問も積極的にしてくださり、つたないながらも私も英語でお答えしました。

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少々、重い話になってしまいましたが、そろそろおなかも空いてきましたので、
防災対策庁舎を後にし、さんさん商店街にて昼食&お買い物に行きました。
ハワイの皆様は海鮮丼のお店とお蕎麦のお店でそれぞれお好みのものを召し上がられました。
お土産ではお麩やワカメ、そのまま食べられるおつまみ昆布が人気でした。
手作りの木のおもちゃも「So cute!(とてもかわいい!)」と大人気でした。

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午後からは仮設住宅での交流会、気仙沼漁港周辺の視察とスタディツアーは続きましたが、
その模様はまた後日続編としてお伝えいたします。

担当:木村早百合
posted by 宮城復興支援センター at 11:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済活性化支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月11日

読売旅行様 東北研修旅行

9月3日
読売旅行様の東北研修旅行に同行いたしました。
気仙沼のおさかな市場で待ち合わせ、バス4台に宮城復興支援センター茂木、船田、逢坂、木村が語り部として乗り込みました。

気仙沼市は労働人口の86%が漁業従事者で特定第三種漁港である気仙沼漁港をはじめとした漁業と水産加工業が非常に盛んなところであります。
サンマやカツオの水揚げが有名でまた、フカヒレの収穫量は全国の95%を誇っております。
そんな気仙沼市ですが、東日本大震災では漁港周辺の加工場の多くが津波で流されてしまい、
今では建物の基礎だけが残っている状態です。
住宅があった場所の津波後の風景と違うのは残っている建物の基礎の枠組み(面積)が大きいということです。
そのため、気仙沼漁港周辺の風景からは津波によって生活を支えていた産業が一瞬にして消えてしまったことがわかります。

気仙沼では車窓から津波の被害を見学していただいたのですが、その後は南三陸町へ向かいました。
南三陸町まではバスで40分ほどの距離ですが、今回は私の語り部に加えて津波が押し寄せる映像を流しました。その映像は南三陸町の歌津地区に住む住民の方が震災当日に今後の教訓として生かしてほしいという思いでつらいながらも自分の住む街に津波が押し寄せ、何もかもが流されてしまうまでを記録した貴重な映像です。
時折、「あ〜全部なくなった」などと、撮影者の方の声が入るので臨場感があり、参加者の方々は皆さん真剣な表情で映像を見てくださいました。

南三陸町に入ってからはまずはホテル観洋さんで昼食となりました。
ホテル観洋さんは津波が2階部分を貫通しましたが、他の階は一切ガラスやシャンデリアなどに被害がなく、最強のホテルだと地元の人に言われております。女将さんがとても明るく、強い方で南三陸町の観光が
震災によって廃れぬよう大変努力をされています。

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ホテル観洋さんで昼食をいただいた後は志津川地区にある防災対策庁舎跡、歌津地区の仮設住宅を見学いたしました。
仮設住宅では住民の方々何人かが工房を建て、内職で作っているかわいくて実用的なアクリルたわし(流行りの洗剤がいらないヤツです☆)やおしゃれなカフェエプロンなどのフリーマーケットにて皆さん気に入った商品やご家族、ご友人へのお土産をたくさん買ってくださいました。

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買い物を通して、会話も生まれ、住民の方々、旅行の参加者の方々どちらにもいい笑顔が広がっていたのがとても印象的です。今後もこのような交流が続くよう引き続き頑張っていきます! 

担当:木村早百合
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2012年07月12日

新潟公務員法律専門学校研修 閖上ツアー続編

美田園第一仮設住宅集会所に移動後、まずは名取市役所生活再建支援課 早坂様のお話をお聞きしました。
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早坂様はまず、名取市における被害の状況や当時の避難所の運営について詳しくお話してくださいました。早坂様が震災後、最初に取り組んだ業務は指定避難所の開設とその運営だったそうです。その後、仮設住宅の入居受付などの業務に移り、名取市では平成23年6月22日には避難所を閉じ、震災直後は11,233人の方が避難所に身を寄せていましたが、そのすべての方が仮設住宅やみなし仮設住宅(一般のアパートに入居するとその家賃が支援されます)に入居されました。早坂様は最後に『「災害は忘れた頃にやってくる」そのときに公務員に求められることは法令遵守はもちろんであるが、被災者に対して杓子定規の対応は感情を逆なでする。自分の与えられている権限を最大に拡大して「何ができるか?」を考えることも必要』だと、自身の経験をもとに語ってくださいました。

次に美田園第一仮設住宅の自治会長さんのお話をお聞きしました。
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自治会長さんは震災直後、公民館にいらっしゃり、そこで避難者の先頭に立ち、食べ物を分配したり、カーテンを壊し防寒対策としたり(震災発生時は3月にも関わらず、雪が降る寒さでした。)と、指揮を取られた方です。また、津波の被害によりご家族を4名亡くされていて、当初は外に出る気力がなく、毎日泣いていたそうです。そんな会長さんの意識を変えたのが仮設住宅入居の説明会でした。そこで以前住まわれていた町内会(日和山町内会)の住民の方々から「会長生きていたんだ!よかった!みんな心配していた。」と、声をかけられ、自分の存在意義を再確認したそうです。会長さんは『「命」とはあっけないくらい簡単に失うが、生き延びる運命を持った者もいる。』と、言っていました。その運命を持った会長さんは、それから避難所に顔を出すようになり、住民の方々の聞き役となり、これからの生活の不安が少しでもなくなるよう尽力されたそうです。そして、会長さんの先導のもと、日和山町内会の住民の皆様は昔の隣組(隣近所に誰が住んでいるかをそれぞれが把握していて、いざという時の協力体制が出来ている。)のまま2011年5月に美田園第一仮設住宅に引っ越してきました。

今回、東日本大震災ではその被害があまりに甚大なため、仮設住宅への入居が抽選で決まり全く隣近所のつながりがなく、孤立されてしまう方や仮設住宅内でのコミュニティ作りが問題になっているところもありますが、美田園第一仮設住宅では元のつながりのまま入居されていますので会長さんを始めとする住民の方の団結力がとても強いです。そのことが住民の皆さんの心が元気になる回復の大きな助けとなったのだと感じました。とはいえ、仮設住宅に入居されている皆さんが仮設住宅を出て独立するためにはまだまだ長い時間がかかります。これからも住民の皆さん(特に子供たち)の心のケアの支援と共に震災を風化させない取り組みを宮城復興支援センターは続けていきます。   

担当:木村早百合
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新潟公務員法律専門学校研修 閖上ツアー

7月12日
新潟県の公務員をめざす学生さんたちの閖上視察ツアーに同行しました。
12時に仙台空港で待ち合わせ。
仙台空港も東日本大震災で3mの津波の被害を受けています。
生徒の皆さんは宮城復興支援センター船田の話を熱心に聞き、津波到達高さの記録箇所を写真に収め、それぞれに今回の震災の被害の大きさを改めて実感していました。
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その後、仙台空港から宮城県名取市(人口約7万人)の閖上地区に移動。
閖上地区は閖上漁港という赤貝の漁獲量が日本一の港があり、震災前には毎週日曜日に朝市が行われるなど、漁港を中心に大変活気があった地域でした。
閖上地区には震災前、約5000人の方が住んでおりましたが、このたびの震災で650名の方がお亡くなりになりました。行方不明の方もまだ50名おられます。
このように多くの方が犠牲になってしまったのは、チリ地震の際、5mの津波がくると言われていたが、実際は50cmの津波しか来ず、被害がなかった為、今回6mの津波が来ると予想があったが大丈夫だろうと逃げる人が少なかったこと、避難所までの道路が一車線で渋滞が発生し逃げられかった人が多かったことが原因として挙げられます。
震災前に2100世帯あった住宅はほとんど流されてしまい、また、防潮堤や松林もほとんど残っていませんので、かつて海が見えなかった場所から海が見えてしまうという不思議な光景がそこには広がっております。
バスからその風景を見学した生徒さんたちは一様に「ありえない」といった表情をしていました。日和山という人工でできた山のところでバスから下車し、山に登り、閖上地区を一望しました。
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日和山は標高6.3mの山で現在、地域の神社の再興に向けて神殿や鳥居が津波ですべて流された神社の官司さんが中心となり設置した仮設の神社が建てられています。
閖上地区に押し寄せた津波の高さは12mと言われていますので、日和山を簡単に超える高さの波がきたと考えると大変恐ろしいですが、あまりのスケールに容易には想像できないのも事実です。このような被害を繰り返さないため、日和山周辺は今後の都市計画で住宅建設が禁止の区域となります。また、閖上の街全体を3m(およそ大型観光バス1台分の高さ)かさ上げするという復興計画もあります。ここでは生徒さんたちから積極的に質問も出さすがました。さすが、公務員を目指す学生さんたちは関心が高いです。このような方々にどんどん被災地に訪れていただき、震災が風化しないよう語り継いでいってほしいというのが私どものツアーの目的・願いであります。

その後、美田園仮設住宅に移動し、名取市役所生活再建支援課の方と自治会長さんの貴重な講話をお聞きしました。その模様はまた後日ご紹介します。    

担当:木村早百合
posted by 宮城復興支援センター at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済活性化支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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